居酒屋でいちばん出る飲み物は、なんといっても生ビールです。
最初の一杯はほぼ全員が生。中盤も生。「とりあえず生で」という言葉があるくらいで、生ビールは居酒屋の生命線です。
その生ビールの樽が、営業中に切れそうになったら——。
想像しただけで胃が痛くなる話ですが、私は実際にやらかしたことがあります。そして、それでも品切れにはなりませんでした。今日はその理由、チェーン居酒屋の「樽の貸し借り」という裏側の話です。
発端:連休があるのに、平日の量しか発注していなかった
原因は、はっきりしています。私の発注ミスです。
カレンダーには連休がある。連休の居酒屋は、当然ふだんの平日より客足が増えます。それなのに私は、いつもの平日と同じ量しか生樽を発注していませんでした。
気づいたのは当日の朝です。在庫の樽の数と、連休の客入りの予想。頭の中で計算した瞬間、血の気が引きました。
「……これ、もたんかもしれん」
その日は朝から、ずっと心臓がドキドキしていました。営業が始まる前から結末が見えている失敗ほど、嫌なものはありません。注文が入るたびにサーバーの様子が気になる。ふだんなら嬉しいはずの「生ビールの注文がよく出る日」が、この日ばかりは恐怖でした。
もともと私は、発注でミスをすることはほとんどありませんでした。だからこそ余計に、この日のことはよく覚えています。数少ないやらかしのひとつが、この生樽でした。
残り1樽になったら、借りに行く
では、樽が尽きたら「生ビール品切れです」と頭を下げるのか。
そうはなりません。チェーン居酒屋には、シンプルな対処法があります。
残り1樽になったら、近くの系列店へ借りに行く。
これだけです。ポイントは「切れてから」ではなく「残り1樽の時点で」動くこと。最後の1樽をサーバーにつないでいる間に調達を終わらせるので、お客さまから見れば何も起きていません。生ビールは一度も止まらない。
つまり、店長の私は朝からドキドキしていましたが、お客さまにとっては普通の日だったわけです。品切れの札が出ることは、最後までありませんでした。
借りに行く実務:徒歩数分、台車を押して
「借りに行く」と言葉にすると簡単ですが、実務はこうです。
チェーンの強みで、だいたい同じ駅にもう1軒、系列店があります。距離にして徒歩数分。そこへ台車を押して借りに行きます。
生樽は、満タンだとかなりの重量物です。抱えて走れるものではないので、台車が必須。駅前の道を、居酒屋の制服で樽を積んだ台車を押して歩く——ちょっと目立ちますが、そんなことを気にしている場合ではありません。
たまに、系列店が隣の駅にしかないエリアもあります。その場合は車です。徒歩数分で済むか、車を出すことになるかは、店の立地次第でした。
どちらにしても、電話一本入れて「生樽1本貸してもらえますか」で話は通ります。貸すほうも「明日は我が身」なので、嫌な顔はされません。お互いさまの世界です。
精算の裏側:月末に、事務的に「貸借処理」
ここが今日いちばんの裏話かもしれません。
借りた樽は、どう返すのか。「後日、樽を1本持って返しに行く」と思いませんか。
実は、現物で返すことはあまりありません。
チェーンの店舗間には、月末にまとめて貸し借りを精算する事務処理があります。帳簿の上で「A店からB店へ樽1本」と付け替えて、おしまい。台車で返しに行く必要はないんです。
考えてみれば合理的で、同じ会社の店同士なら、会社全体で見れば在庫の置き場所が変わっただけ。わざわざ重い樽を運び直すより、数字を動かすほうが早い。現場は台車で助け合い、精算は帳簿の上で——これがチェーンの貸し借りの実態です。
「切らさない仕組み」に助けられた話
この一件のあと、私が発注のやり方を大きく変えたかというと——正直、特に変えていません。
かっこ悪い話ですが、それが答えです。もちろん連休前にカレンダーを見落とさないよう気をつけるようにはなりましたが、特別なチェックリストを作ったわけでもない。
なぜかというと、「残り1樽で借りに行けば、品切れにはならない」という仕組みがあるからです。
これは手抜きの言い訳ではなくて、チェーンという業態の本質だと思っています。人間はミスをします。発注も読みを外します。それでも店が回るのは、個人の注意力だけに頼らず、ミスを吸収する仕組みが後ろに控えているからです。
チェーンの味が全店で同じ理由を以前書きましたが、あれと根は同じです。マニュアルが味を守るように、店舗網が在庫を守る。系列店の存在そのものが、保険なんです。
個人店の店主さんからすれば、うらやましい話だと思います。個人店で樽を切らしたら、酒屋さんに泣きつくか、本当に「品切れです」と頭を下げるしかない。チェーンの看板を背負う窮屈さは別の記事でも書きましたが、こういう日ばかりは、チェーンのありがたみが身に沁みました。
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おうち居酒屋の話:家庭用ビールサーバー
樽の話のついでに。居酒屋の生ビールがうまいのは、樽とサーバーが作るクリーミーな泡のおかげです。最近は缶ビールに取り付けるタイプの家庭用サーバーが手頃になっていて、家飲みの一杯がぐっと店の味に近づきます。台車で樽を運ばなくても、「生」の気分は家で出せる時代です。
まとめ
- 生樽が切れかけた原因は、連休前に平日量しか発注しなかった私のミス。当日の朝からずっとドキドキしていた
- チェーンの鉄則は「残り1樽になったら系列店へ借りに行く」。切れる前に動くから、お客さまには何も起きない
- 借りに行くのは同じ駅の系列店へ台車が基本。隣駅にしかなければ車
- 返却は現物ではなく、月末に店舗間で事務的に貸借処理。現場は台車、精算は帳簿
- 品切れは、個人の注意力ではなく仕組みで防がれている
生ビールが最後まで止まらなかったあの日、お客さまは誰も、店長が朝からドキドキしていたことを知りません。
飲食店の「いつも通り」の裏側には、台車を押して駅前を走る誰かがいる——そんな話でした。
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